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東北地方太平洋沖地震

死ぬかと思った。

仕事中だったんだけど、最初は隣にいた人と「あ、地震だ」とか「結構でかいすね」とか言ってたんだけど、だんだん尋常じゃない揺れになってきた。

天井にはバカでかい電灯、横には動いてる機械が大量、横のでかいロボットアームからは変な音がするし、機械からはマーブル色の液体が吹き出てきてめっちゃくさいしで、天井の電灯が落ちてきたり、機械が爆発して死ぬんだろうなと覚悟した。

さらに揺れがひどくなって、いよいよかなと思った瞬間にどこからか「外へいけー!」という叫び声が聞こえてきて、それまで思いつかなかったけどそういやそうかと思って、揺れる中、上からなにか落ちてこないか心配しながら猛ダッシュした。

外に出ると、他の作業員もたくさん避難してて、建物はまだすごい揺れていた。
手足ガクガクで心臓バクバクだった。

そして、一旦落ち着いたから工場内に戻った。
もうすごい有様だった。
同僚と話しながらけが人がいないか見て回ってたら、すぐにでかい余震が起きたから外にすぐ避難した。

この時点で停電していて、工場内は真っ暗だった。

集合の号令があったので、ぞろぞろと避難場所に移動した。
そこでけが人や行方不明者はいない様子で安心した。

しばらく待機して、とりあえず工場は放置して一斉退社になった。


会社を出たのが16時。
停電しているため信号は止まっていて大渋滞。途中、火事により通行止め。

家に着いたのが19時半でした。
何度も横を消防車、救急車、パトカーなどの緊急車両が通っていった。
サイレンが鳴り止まない状況で、もう日本は終わったと思った。

帰宅途中、ラジオで湖の橋が落ちて車も一緒に落下したと言っていた。


家に帰ると、家族は全員無事でろうそくや15年以上前につかっていた石油ストーブで暖かかった。
すごい安心した。

家は停電だけで、水道・ガスは使えた。
電気の大切さを改めて思い知った。

その日は心身ともに疲労していたので、すぐに寝てしまった。


次の日、まだ電気は復旧していなかった。
さらに水道まで止まっていた。

父親は埼玉に単身赴任中だったので、こっちに帰ってくる途中に水、食料を買ってきてもらった。
妹も食材配達の仕事をしているので、食料には困らなかった。

結局その日は電気も水道も復旧しなかった。


三日目、朝起きると電気が復旧していた!水道はまだだった。
これでやっと携帯の充電が出来た。

祖母の家は井戸水で電気さえ通ってれば、水は出る。
二日ぶりに風呂に入れた。

水道も水量は少ないけど、回復してた。

とりあえずライフラインはもう安心。



茨城はテレビや新聞であまり取り上げられないけど結構な被害です。
その証に東電の計画停電のリストからはずされました。

家の方はあまり被害がないけれど、県北は宮城、福島並みの被害だそうです。

停電が治ってテレビを見ると、本当に悲惨で泣けてくる。



今、一番注目されている福島にある東電の第一原発。
実はいとこの家族がみんな東電の従業員で、家も原発のすぐそば。

避難はしているらしいんだけど、いとこの1人が仕事しているみたい。
いとこは携帯も圏外で使えず、実家にかけても避難しているから誰にも連絡つかずで茨城の家に電話をかけてきた。
奥さんにも家族にも連絡できない状況で、ずっと仕事をしていたとか。
「俺は無事だ。安心してくれ。」という事を家経由で家族へ伝えてあげた。

もう涙が出てきたよ。

どうか無事で帰ってきて下さい。
また親戚一同元気で会える事を祈っています。
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